ニューロ・ランク

個人の日常や思いつきを書き綴る雑記ブログです。マネタイズも時々。

不安感と抑鬱状態、対人恐怖が強いので精神科に行って薬をもらいました。

おはようございます。

 

昨日は親にガミガミ言われて精神科に行きました。

 

僕はもともと体質が弱かったです。虚弱体質気味なのかもしれません。昔から風邪をひきやすく、気管支(炎)喘息で扁桃腺が腫れたり副鼻腔炎蓄膿症でよく鼻をズルズルいいながら耳鼻科やら内科(小児科)にかかっていました。(学校休んで家でがんこちゃんやワクワクさんやストレッチマンみたり、遊戯王の漫画を楽しく読んでるのはこの上なく背徳感でしたw)

 

小学生の頃とかは一ヶ月に一回の頻度では病院に行っていたかな。

 

高学年になるにつれて病院に行く回数は減りましたが、扁桃腺の腫れやすさや気管支のゼエゼエ息苦しさや痰が絡んだような咳はその後も中学生頃までは続いていました。

 

副鼻腔炎蓄膿症の症状は、10年以上経ってアラサーになった今でもたまに起こります。

 

メンタルも強い子ではありませんでした。男の子なのですけどね。周りの目がすごく気になる子でした。

 

この記事で僕の全てについて語るつもりはないですが、メンタルが強く無いことは確かなので、これまでも不登校もしたし、いまでは引きこもりですし、精神衛生上はとてもよろしく無いと思います。

 

昔の周りの目を気にしやすい性格はいまでも続いています。

 

社会人になってからは職も一ヶ月足らずで辞めることも多々あり、とにかく仕事が続かないんです。

 

続かない理由としては、一言で言うと、いわゆるメンタルが弱いと言うことです。

 

人の目を気にする状態で毎日仕事に行くので精神的に苦しくなるんです。これが死ぬまで一生続くと思うと余計に逃げ出したくなるのです。

 

自分を出して嫌われるのが怖い、自分だけ仲間はずれにされたらどうしよう、周りからはなんか斜に構えてて話しかけにくいしで輪に入れないから周りから浮いてその場にいられない。

 

僕と同じ状況で耐えて仕事でき続ける人も世の中探したらいるのでしょうが、僕的には毎日勤務しながら同僚とたわいのない話をしながら笑い合ってその輪の中で役割や存在感を示すと言うことがこの上なく難しいです。

 

キチキチ律儀に堅苦しく考えすぎているのは事実ですが、脳みそが自動的にそのような思考になり、外界からの刺激に対する感覚受容体である皮膚も弱いのかもしれません。

 

加えて、学生の頃までは自分の弱さを隠してもなあなあで過ごせてた部分もあったのですが、社会に出ると明確に自分のスタイルを確立していないとブレて仕事になりません。で、僕は今そのブレている状態です。

 

仕事ができないままいるとどうなるかはご存知の通りです。

 

これまで何度も仕事に挑戦しては、特に人と中徳なることがすごく苦手なので、その面で苦労してきました。

 

精神科に行ってきた

 

まずは一年だけでも頑張ってでも、人と絡みまくる"仕事"(遊びではない)ができればいいのですが、今の僕には正直ハードルが高いです。

 

これまで就労支援や職業生活訓練などにも通っていましたがその先の一般就労においてなかなか定着ができない課題があります。

 

やっぱり訓練と実践は違うのだと身をもって体感している今日この頃です。

 

心理学系の学部に通っていただけあって、いわゆるカウンセリングにも抵抗がなかったので、いままではカウンセリングに通っていました。

 

でも、カウンセリングだけでは難しくなったので、数年前から精神科(心療内科)にも受診するようになりました。

 

今の時代はネットもあるので、これまでの自分の苦しみの原因を必死で探すようにもなりました。特に大学を卒業してから周りとの目に見えない違いを感じるようになったのでそれはそれは苦しみながら自分の苦しみの原因や解決策が無限に情報があるネットのどこかにないかと探しました。

 

でもどれだけ探しても、結局は自分が行動しないと何も変わりません。

 

行動しているのに苦しい、でも行動しないと変わらない。

 

そんな苦痛をもとに精神科を受診したに至ります。

 

いまは自立支援も受けていて、そのサービスで精神科を受診してお薬ももらっているところです。

 

昨日は、内服薬と頓服を出していただきました。

 

内服薬に関しては用量は多くはないので

 

僕の場合、とにかく自閉傾向強めで対人恐怖症もあるので(正確にはここ数年の不幸が重なり悪化した)ので、頓服が必携になると思います。

 

一人で何もかもこなすのが好きな僕にとって、対人交流ほどストレスになることはありません。

 

対人交流は人間の栄養剤になることもわかってはいるのですが、今の僕は液状化した地面のように、土台がしっかりしていないので、ドンと肝が座った接し方ができないでいるのです。

 

薬でいっときの苦痛を和らげることはできますが、それができなくなるのも時間の問題です。

 

薬というのはいわゆる一時的に気持ちがブレないようにするだけなので。

 

できる限り早く自分の軸を固めていかないと完全に苦しくなってしまいます。

 

軸は軸であるけどその土台が腐ってドロドロの状態がある場合、液体から固体に形質変化させるか、固体にはならない場合には圧をかけて閉じ込めるしかないのですが、どちらが有効なのかはわかりません。

 

薬は一時凌ぎだということはわかってるし、実際そうなので、そういう意味でも気が滅入ってます。正直。

 

ダメなのはわかってるんです、でもそうするしかない時も誰にだってある。

 

僕はこれまで薬にだけは頼らないと決めていたつもりでした。

 

なぜならお父さんを見た時に苦しそうだったから。

 

僕は薬を飲むまで行くということは、とても辛い状態なのだなと経験から学んでいました。

 

でも、現実は甘くなかった。

 

僕も親と同じように薬を飲んでいます。

 

とは言っても、薬を飲むことに関しては、別に根本的にネガティブでいるわけではありません。

 

ただ、薬はいっときのドーピングなので、それは長くは続かないこともわかってるのです。

 

その点に関して言えば、不安がないと言ったら嘘になります。

 

実は以前、心療内科に受診するようになった流れで、一度大学病院でも心理検査を受けて発達障害の傾向があることがわかりました。

 

その際に、数値を見て、低い高いで一喜一憂していましたが、”内面を数値図る”というのも、それは厳密には目にみめるものを測っているのだと思いました。人の中身は目に見えないとはよく言いますが。

 

僕は心理学を学んでいたこともあるので、その話をさせていただくと、物質世界と精神の世界の明確な境目があるということを数値やデータで証明しようとした「精神物理学」の領域があります。

 

主に知覚の反応状態を数値で測定してます。

 

精神物理学の領域において、数値では図ることには賛否両論あり、限界が見えています。

 

化学的な潮流に乗ってか、構造化して体系的に人間を解明しようとしていますが、やはり全てを語り尽くすことができない。

 

数値だけが全てではないという結論になったのです。

 

ではどうしたのか?

 

それは半構造化。つまり半分は化学的な要素を取り入れてデータで示し、残り半分を個人の内的世界観を反映するように言葉で喋らせるということをしました(言語化)。

 

数字と言語は本質的に異なる次元だとは誰でも知っていると思います。そういうことです。

 

その両方で検査をしてその人を知るということをするようになったわけです。

 

最後に余談ですが、

 

タダより怖いものは無い、基礎的なことを蔑ろにするとキツいんです。

基礎的なことほど重くて大きいのです。

 

ADHDらしく、論の飛躍が甚だしいですが、きょうはここまで。

 

ちなみにこの記事のように僕が日記調で書いた文章は、マネタイズ用の記事と違ってリライトは頻繁にはしないつもりです。(no indexにしとこうかな......)

 

なぜならそのときの内面を重視したものですので。

 

話が飛び飛びだろうが、支離滅裂だろうが、それはご了承ください。

 

マネタイズ目的ではないので、日記がわりに書かせていただきます。

 

ということです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

今日はここまで。