ニューロ・ランク

個人の日常や思いつきを書き綴る雑記ブログです。マネタイズも時々。

たまに、ふと学生時代にやった教科の勉強をまたやりたいなって思うから、それについて日記書いてみた。

 

※この記事は、2021年12月02日0時ごろ(12月1日の24時ごろ)に書きました。

 

最近さ、学生に戻りたいとは思わないけど、勉強はもっとやりたいなと思う。

 

勉強っていろんなこと知れて楽しいじゃん。勉強してる間だけなら時間も忘れて集中できたりするし、なにより悩み事を考えない時間を設けることって大切だよなあと。

 

よく、いつまでも解決しない悩みでクヨクヨするくらいなら悩む時間を決めて悩め!(一時間だけ悩むと決める等)とか悩む時のコツ?みたいなものが言われてるけど、

 

僕の場合は常に悩んでるのが正常だから、悩み事や考え事をする時間を設定するより、逆に悩み事をしない時間を設定するほうが理に適ってると思う😊

 

勉強することと悩むことは違うけどね。

 

僕は、勉強で何かスキルや知識をつけたいというのもあるし、勉強している時間自体が楽しいってのもあるし(人と喋らなくていいからってのもある)、純粋に勉強が楽しいからってのもある。

 

ADHDだから飽きるのも早いんだけど、またすぐにやりたくなる。というか、気分屋でコロコロ天気みたいに気分が変わるのがデフォルトなのかもしれん。

 

最近は、自嘲(じちょう)しつつ自重(じちょう)して、気分の波が極力起こらないように、そしてそれを表に出さないようにしてはいる。最近は定期的に通院して薬も飲んだり、カウンセリングにもまた通うようになってるし。

 

世の中のあらゆることが勉強なんだけど、それでもやはり”知識を得る”ってことに焦点を当てた勉強はなんか自己アップデートしてるみたいで少しだけ楽しくなるよ。

 

国語、算数(数学)、理科、社会、英語等の外国語、その他諸々、ハッキリ言って100年の人生では足りないですね。

 

まあ、勉強ってのは、”現実世界在るものごと”について行うもので、つまり答えはすでに現実世界の中にあるのよ。”現実すなわちあらゆる問いに対する答えである”みたいなところがあると思ってるわけよ僕は。

 

勉強と研究の違いわかりますか?

 

よく言われているのが勉強はすでに明らかになっていることを知ること。

 

一方、研究はまだ明らかになっていないことを明らかにすること。

 

高校までの勉強と大学に入ってからの研究はその点でよく比較される。

 

だから勉強より研究がすごいんだみたいな感覚にはなりがちだけど、研究だって実はもうこの世に答えはあるんだけど、ただそれらを明らかにする過程のことを言ってるんだよ。

 

研究って、ある種、学校の勉強みたいに答えがあるものではないんだけど、この世の現実自体が研究の答えだと言えるかもしれない。

 

ここらへん、ちょっと言い方が難しくて、うまく説明できないんだけど、要するに研究も実はすでに答えがあるものを扱っているということ。

 

ただし、研究の場合にはそこに意見とか解釈というものが入ってくるのです。シンプルに言えば、特に学問としての研究は、客観的、普遍的なものを明らかにするこが目的の一つでもあるんだけど、勉強よりは自由度が高いというか、オリジナリティや個性が試されるというか、やってることは真理の探究だけど個人において研究のコーディネート力も試されるという相反する二つの要素が研究にはあると思う。

 

大学でやる研究はそれこそマニュアルに沿った厳密な手続きがあったり論文の書き方もあるから感想文みたいに自由に書いちゃいけないのも理解はされているんだけど、それでも研究をいかにデザインするかという、もはや趣味の領域ですよ。研究って。研究って知的労働だと思うんだけど、肉体労働とはだいぶ性質が違ってて、仕事としてやるより没頭できる趣味の極地ってのが今のところの「研究」というものについての僕個人的な見方かな。

 

ビジネスってのも様式に沿って書類書いたり、稟議通したり、いろいろ大変だろうけど楽しいだろうし、研究も同じような感じなのかな。

 

研究の方がもっとシビアなのかなとか思ったりして。

 

学術領域によっても査読とかいろいろあるし厳しそうだし、この道一本でやっていくってかなり大変なことだと思う。

 

繰り返しになるけど、なんだかんだ研究って未開の土地に足を踏み入れるようなもんだけど、(未開の)土地自体はすでにあるものであって、”人類が”まだ未開なのであって、ネコとかてんとう虫とかモモタマナの木とか”ヒト以外の何か”は、もうすでにその領域に足を踏み入れているのかも知れない(擬人法的表現でわかりにくかったらすみません😅)

 

そう考えるのが自然でございます。

 

でも、そう考えると、もう人類こんなに繁栄しているのに、やることなすこと全て現実世界の許容範囲から抜け出せないんだなと考えると、それはそれで勉強や研究する気を無くす人も大勢出てくるかも知れない。

 

諸行無常”、”人生は死ぬまでの暇つぶしである”、なんとも物悲しいよね。

 

要するに、何にも意味ないって僕には聞こえるんだけど。

 

僕の耳が悪いのかな。卑屈すぎるね。

 

だから僕は、バカの方が生きてて楽しいとは思ってる。最近で言えばフワちゃんみたいな人かな。(※ここでは、バカという表現を良い意味で使わせていただいています)

 

それでも少しは知的好奇心が頑張ってくれてるから、感情の波もプラスして少しはこの世に希望を見出したいところではある。

 

喜怒哀楽に嫉妬や羨望、怠惰とか理想とか目標とか「このアニメ面白い!」とかいう感情もどのようなものであれ一応は持ってるわけだから、それでいいのかも知れない。

 

生きるのに疲れたとも言えるし、生きてても無意味だと本気で思えるようにもなった。うつ病希死念慮とは少しタイプが違うのだろうけどね。

 

業とか輪廻とか、人類は憎い言葉を発明しよってからにって感じだね。

 

というか現実世界が皮肉だね。

 

そりゃ楽しんだもん勝ちなのもよーーーーく分かる!

 

だから僕は、できる限り楽をして、楽しんで、笑顔で、幸せに、揺り籠から墓場まで、みんながこれでいいんだと確信が持てる、そう意識しながらなんてことない毎日を生きられるような世界を築いていきたいなと思う。それこそ理想郷である。

 

四苦八苦、一度横を見れば、すでにこの世は苦しみに満ちているので、こればかりはどうしようもないのは百も承知だけど、だからこそただ楽しく生きられるように、個人個人が納得いく生き方を各々できればいいなと思っております。

 

抽象的な話だけど、結構大事。だって誰だって苦しみたくないじゃん。死ぬにしても苦しまずに死にたいよね。

 

現世に生きてるという苦痛を和らげる意味でも、勉強や研究がそこに一役買ってくれているのかなと思います。

 

集中して物事をする。

 

勉強するなら30分に一回5分は休憩挟んだ方がいいらしいですよ。

 

集中力が持続する時間がそれくらいなんだって。

 

その間に体も伸びをしてリラックスしてまた勉強の続きをしてください。

 

P.S.

こういう日記書いてると、哲学してるな〜と、浅はかながら思うのであります。